通り名でえべっさんを探せ!

諫早市中地区町内会連合会などでつくる
「えべっさん実行委員会」では、
諫早に点在する「えべっさん(恵比寿像)」を歩きながら探し、
諫早のまちを再発見・再認識するイベント
「通り名でえべっさんを探せ!」の開催を予定しております。

諫早には、これまでの歴史と関連し
多くの恵比寿像があるそうです。

■通り名でえべっさんを探せ!
 ~ウォークラリーイベント参加者募集~

 とき:平成22年2月28日(日) 12:30~ ※雨天中止
 集合場所:諫早アエル前ポケットパーク
 申込み期限:2月22日(月)必着 先着30名
 参加費:無料

 詳しくは、
 国交省・長崎河川国道事務所ホームページの新着情報をご覧ください。

 

恵比寿様は、
幸福をもたらす七福神として知られており
特に西日本では、
「えべっさん」と親しみを込めてよばれています。

大きな鯛を抱えて釣竿を持っている姿の恵比寿像は有名で
全国各地にありますので
ご覧になったこともあるのではないでしょうか。

古来より、全国津々浦々で
海岸に流れ着いた漂着物や魚網にかかった石などを
エビス様の御神体として祀る風習などがあったようで、
もともとエビス様は海の向こうからやってくる神様として、
豊漁や海上安全などをもたらす神様として信仰されていました。

鎌倉時代の頃からは、福の神としてのご神徳が歓迎されて
各地の市場などに祀られるようになり
室町時代以降は、商業都市を中心に商売繁盛の神様として
多くの人々から盛んに信仰されています。

なお、東京の神田明神などでは
諫早神社のご祭神でもある少彦名命と恵比寿様が
習合(同一神と)されており、
商売繁盛、医薬健康、開運招福の神様として、
また、温泉を伝えた神様として知られております。



【ご報告】累計10,000アクセス

諫早神社の
公式ホームページ・公式ブログの累計アクセス数(PV)が
2月13日時点で10,000を超えておりました。

節目の数字ですので、ここにお知らせ致します。

ホームページはずいぶん前から開設の計画をしておりましたが
ようやく昨年の12月8日に開設をすることができました。
ブログは翌々週の12月21日からのスタートですので
約2ヵ月で10,000アクセスとなります。

ご覧いただいております皆様に感謝を申し上げます。

これからも日々の生活の中で
気軽にご覧いただける親しみのもてるサイトを目指して
随時更新して参りますので
今後もご高覧いただけますと幸いです。 

 

梅が綺麗に咲いています



「皇居勤労奉仕団の旅」ご案内

長崎県神社庁では、天皇陛下御即位十年奉祝記念として
神社庁皇居勤労奉仕団をスタートし、これまでに12回、
約350名が参加し実施しております。

皇居勤労奉仕とは、昭和20年5月に空襲で焼失した
宮殿の焼け跡を整理するため、
有志が勤労奉仕を申し出たことで始まり
それ以降、奉仕を希望する全国の多くの方々により行われているものです。

現在の皇居勤労奉仕は、連続する平日の4日間、
皇居と赤坂御用地で除草,清掃,庭園作業などを行います。 

  

長崎県神社庁では、
本年も第13回目の奉仕団実施を予定しており
現在、参加される方々を募集しております。

この皇居勤労奉仕は個人による宮内庁申込みができませんので
1団体として宮内庁へ申請する必要があります。
(長崎県神社庁の奉仕団として申請) 

ご関心あられる方は、
是非この機会に参加されてみてはいかがでしょうか。

なお、団体名簿を半年前までに宮内庁へ届け出る
定めとなっておりますので(実施1ヶ月前まで変更可)、
日程・申込締切日は下記の通りとなっております。

 ●第13回 長崎県神社庁皇居勤労奉仕団

   実施日:平成22年9月上旬(5泊6日)
   募集人員:45名
   申込締切:3月25日(宮内庁許可申請のため)
   参加費:138,000円

詳しくは、長崎県神社庁ホームページ(お知らせ欄)をご覧下さい。
諫早神社の社頭にもチラシを置いております。



2月15日「つきなみさい」を斎行しました

本日、2月15日は
毎月恒例「つきなみさい」の日でございまして
滞りなく斎行することができました。 

ご参列いただきました皆様、ありがとうございました。 
 
次回の「つきなみさい」は
3月1日(月)
9:30~
となります。

皆様とともに
日々の神恩感謝や健康安泰・繁栄を祈願いたします。

ご自由にご参列できますので、
ご都合つかれる方はどうぞご参詣下さい。



祈年祭を斎行しました

本日、氏子総代の皆さまにご参列をいただき
祈年祭(きねんさい)が滞りなく斎行されました。

本来は2月17日に行うものなのですが
諸々の事情で本日行われています。

祈年祭は「としごいのまつり」とも称し、
年の始めにあたって、五穀豊穣と国家安泰を祈る祭りであり
宮中三殿・伊勢神宮をはじめ、
全国各地の神社で行われているものです。

収穫感謝祭である「新嘗祭」と対になる祭りで、
元々は律令国家の恒例祭祀の一つとして
既に天武天皇の御代(飛鳥時代)には
盛大に執り行われていたと云われています。 

 
明日は毎月1日・15日に斎行しております
「つきなみさい」の日でございます。
ご自由にご参列できますので、
ご都合つかれる方はどうぞご参詣下さい。

■つきなみさい
2/15(月)  9:30~



山下淵の大なまず その3

先日のブログ「山下淵の大なまず」の続きで
今回で完結となります。

 【山下淵の大なまず その3】

 さて、女性が姿を消したその翌日のこと。

 山下淵に、見た事もないような
 大なまずの死がいが浮かびました。

 その話は町中に広がり、たちまち殿さまの耳にも届きました。
 じつはその時代、山下淵では
 魚を獲ることは固く禁じられていたのです。

 家来が調べて見ると、大なまずの心臓に
 一本の鋭いモリが突き刺さっています。

 見るとそのモリには、
 はっきりと『中村大蔵』という銘(めい)が刻まれていたのです。

 「中村大蔵を、ひったてい!」
 ただちに大蔵は縄をかけられて、お城の庭に引き出されました。

 「なまずを殺したのは、自分でありません」
 大蔵は言いましたが、
 「では、誰が殺したというのだ?」
 「それは・・・」
 主との約束を破る事は出来ないので、仕方なく黙っていました。
 「黙っておる所を見ると、やはりお前の仕業だな!
 魚を取ってはならぬとの禁を破った上、罪を認めぬとは!
 さっそく、処罰を与えてくれるわ!」

 殿さまはかんかんに怒ってしまいましたが、家来の一人が、
 「殿、お待ち下さい。
 モリを作ったのは、確かに大蔵でしょう。
 しかし自分の仕業であれば、
 わざわざそれを分かるような名を刻む事はいたしますまい」

 と、取りなしてくれたので、なんとか太蔵は罪を逃れる事が出来ました。

 このことがあってから、大蔵は城下から遠く離れた
 深海(ふかみ)の里に移り住み、そこで多くの名刀を残したそうです。

 そして山下淵の主は大蔵との約束を忘れていなかったのか
 あれ以来、
 山下淵でおぼれ死ぬ者は一人としていなかったということです。

 

 おしまい  

 

山下淵の大なまず(諫早・公園橋)



山下淵の大なまず その2

本日、2月11日は祝日「建国記念の日」。

この日は、戦前は「紀元節」と呼ばれており、
初代の神武天皇が葦原中国(日本)を平定され御即位された日を、
現行暦に合わせて算定した日である
2月11日を祝日としたものです。

いまこの時があるのは、様々な時代の中
先人の方々がご尽力された結果なのでしょう。
それらを振り返りつつ、感謝の気持ちを持っていたいものですね。  

 

さて、先日のブログ「山下淵の大なまず」の続きです。

 【山下淵の大なまず その2】

 それから三日後の夜、その女性は再び大蔵のもとを訪れ、
 大蔵の作った見事なモリを見るととても喜びました。

 「ありがとうございます。これはほんのお礼のしるしです」
 と、白い包みを渡しました。
 何げなく開けて見ると、なんと銀の延べ棒だったのです。

 大蔵は驚いて、押し返そうとしましたが、
 「いいえ、どうかお受け取り下さい。あなたさまの立派なモリは、
 この銀でも足りぬほどです」

 「そうですか、そこまでおっしゃるのであればありがたく頂きます。
 しかし、あなたは一体どなたですか?
 そしてなぜ、このモリが必要なのですか?
 もちろん他言は致しませぬゆえ、どうかお聞かせ下され」

 大蔵が言うと、その女性はそっとあたりをうかがい、
 声をひそめてこんな事を言いました。

 「実はわたしは、お城の近くの山下淵の主なのです。
 ところが近頃、大なまずがやって来ては、私の子どもたちを
 次々と食い殺してしまいました。
 この上は、憎い大なまずを殺して子どもたちの仇を討ちたいと思い、
 あなたにお願いに来たのです」

 「何と・・・」
 大蔵が驚いていると、女は続けて、
 「仇を討ったあかつきには、今後いっさい山下淵では、
 人の命を取らぬ様に致します」

 と、それだけ言って、すーっと姿を消してしまいました。

 ・・・・次回へ続く。 

 

山下淵の大なまず(諫早・公園橋)



山下淵の大なまず その1

諫早神社の境内前を流れる諫早の母なる川、本明川。

この諫早に数多く残された伝説の一つで
本明川の「山下淵の大なまず」という伝説があります。  

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが
本明川は、北に聳える五家原岳南西麓を水源として
急斜面を流れ下り、様々な支流と合流しながら
有明海に注いでいる河川です。

日本でも有数の急峻な一級河川として知られています。

 

諫早神社もこの暴れ川・本明川の氾濫により
諫早大水害をはじめとして
これまでに何度となく多大な被害を被ってきました。

この本明川が、城山の岩崖にぶつかって淵を形成し、
山下淵と言われる所があります。

その昔はこの城山に高城が築かれており、
切り立った岩崖が今より広く深い淵に真っ直ぐ落ち込み、
自然の要害でもあったのでしょう。

「山下淵の大なまず」は
その本明川・山下淵を舞台とした伝説です。

 

 【山下淵の大なまず その1】

 むかしむかし今からもう四百年も前のこと、伊佐早(諫早)地方の領主
 西郷純堯の時代、栄田村に中村大蔵(なかむらたいぞう)という、
 腕の良い刀鍛冶がいました。

 ある時、大蔵は神社へ納める神剣を作ろうと思いたちました。
 そしてそれから百日の間、大蔵は水をかぶって身を清めると、
 朝から晩まで一心に刀剣を打ち続けたのです。

 そんなある日の事、一人の女性が大蔵のもとを訪れました。

 「お願いがございます。どうか私に、鋭いモリを一本作ってもらえませんか」
 「いや、今は打ち込んでいる仕事がありますので」
 「お願いします。どうしても必要なのです。」
 大蔵はびっくりして一度は断わったものの、
 その女性があまりにも熱心に頼むので、ついに引き受ける事にしました。

 「わかりました。それでは、三日後にまた来て下さい」

 ・・・・次回へ続く。

 

山下淵の大なまず(諫早・公園橋)



『たぬきのまるごと諫早紀行』

全国で唯一のたぬき絵画家・堤けんじさんによる
諫早市の各所をモチーフにした
「たぬきのまるごと諫早紀行」の出版が予定されています。

これは昨年6月に諫早市・久山茶屋の地下道に
堤けんじさんの協力で「長崎街道絵巻通り」をつくったことを契機に
出版実行委員会も発足して取り組まれているものです。

「たぬきのまるごと諫早紀行」は
諫早の文化、お祭り、名所旧跡、伝統芸能などを
約60~70点のたぬき絵で紹介するものです。 

作品例によると、
諫早神社も「初詣の諫早神社」という作品で描かれるそうです。

今月2月22日(月)の発刊を予定しており、
1部:2,415円(税込)とのこと。

ほのぼのしたたぬきが諫早の各所を巡り、
諫早の魅力を知ることができる一冊になるかと思いますので
ご関心あられる方はぜひ手にとられて下さい。  

 ■問合せ先(購入申込み先)

 ・「たぬきのまるごと諫早紀行」出版実行委員会
   TEL・FAX:0957-23-3586   
 ・「ナイスいさはや」
   TEL:0957-22-3328、FAX:0957-22-3066 

諫早紀行・パンフレット1

諫早紀行・パンフレット2



高校新人駅伝で諫早高が4年連続男女V

2月6日、高校新人駅伝大会が
長崎市総合運動公園かきどまりコースで行われ、
諫早高が4年連続14度目の男女アベック優勝となりました。

諫早高の優勝は
男子が12年連続15度目、女子が4年連続17度目とのことです。

これまでの会場は諫早市の県立総合運動公園でしたが、
平成26年の長崎国体へ向けた改修工事が進められているため、
今年は会場が移っています。

男子は、同じ諫早の鎮西学院とのデッドヒートを繰り広げ
最終区で逆転での決着となりました。

女子は諫早高が全区間で区間賞を獲得しての優勝でした。

優勝した諫早高校も、くやしい結果に終わった高校も
これからさらにきびしい練習を積まれることでしょう。
健康に留意され頑張ってください!

■男子
優勝:諫早高校
2位:鎮西学院高校
3位:松浦高校

■女子
優勝:諫早高校
2位:長崎商業高校
3位:五島高校







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