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「face isahaya」133号に
長崎地方も風が強い時間もありましたが、
台風12号は、紀伊半島をはじめ広域にわたって
大きな被害をもたらしています。
現在は温帯低気圧となり日本海に抜けたものの、
まだまだ局地的に大雨が続いている所があるようです。
さて、諫早のフリーペーパーで
「face isahaya」という情報誌があり、
最新133号の50ページ目に諫江八十八ヶ所巡りが
紹介されていて、その記事内に諫早神社のことが記載されていました。
諫江八十八ヶ所巡りとは、江戸時代後期の文政年間に
領内安泰や子孫繁栄などを願い弘法大師像を建立することを発願、
それから四年の歳月を経て、四国八十八ヶ所霊場になぞらえて
諫早領内の八十八ヶ所に其々勧請されたものです。
じつは、その諫江八十八ヶ所霊場の「第一番札所」は、
はじめ神仏習合の諫早神社(四面宮)の境内にありました。
しかし、明治の神仏分離令により、
四面宮の隣にあった五智光山荘厳寺が壊されてしまい、
「第一番札所の弘法大師像」も四面宮境内地から
現在の宇都墓地内に遷座されてしまったのです。
諫早神社は、
神仏分離の明治以前と以後で、あるいは
鳥居など様々なものが流された諫早大水害以前と以後では
すっかり様相が変わってしまったという悲愴な歴史があります。
それから長い年月が経ちますが、
まだまだその被害を引きずっていて復興したとは言えず、
お祀りしている大神様に対し大変申し訳なく思っており
これからも少しずつ元の姿に戻していかなければと思っております。
話は変わりますが、
faceに目を通している中で少し気になることがありました。
7月に行われた諫早万灯川まつりに参加した人から
諫早のいいところ・わるいところを聞いているアンケートがあったのですが、
その中で、わるいところはないという声が多かったものの、
「買い物するところが少ない」という趣旨の声も多く目についたことです。
これは少し気になります。
たしかに、買い物をするところの絶対数が少ないというのは
大都市と比べると当然そうなります。
また、諫早のような中規模の地方都市が
大都市を目指し、真似るようなことをやったとしても
未来永劫かなわないでしょう。
それよりも、諫早の特長を活かし
大都市には真似のできないような道を目指さなければ
これからの厳しい社会を生き残ることはできません。
ただ、そういう道を歩むためにも
時代の変化に対応したインフラが整備されていなければなりません。
その意味では、
たとえば現在の車社会にインフラが対応しきれているかというと、
必ずしもそうではないように思われます。
そういったことも克服していかなければなりません。
私は10年以上、東京で暮らしていましたが
比較しても、諫早には素敵なところがたくさんあります。
しかし、点在していて
自ら調べて見つけないと存在すら知らないかもしれません。
ですが、せっかく近くの地元に素敵なところがたくさんあるのですから、
それぞれの人がまずは地元のことをよく知ろうとすることが
第一に大切なことなのだと思います。