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「voice style vol.2 パワースポット神社」
今回ご紹介するのは、
不思議でキレイなスピリチュアル・マガジン
「voice style vol.2 ~パワースポット神社~」です。
パワースポットとされる全国の神社が
写真付きで掲載されており、
先日参拝しブログでご紹介した幣立神宮も載っています。

voicestyle vol.2パワースポット神社
お手に取られた方もいらっしゃるかもしれませんが
概要(目次)としては、
・パワースポット・スペシャル対談
(島みやえい子 × 若月佑輝郎)
・海道から沖縄まで! 全国38カ所神社巡礼
・御祈願別オリジナル祝詞
・全国「獅子・狛犬」ポートレート
・ツキをアップさせる神社グッズ
・地球のサンクチュアリ周遊記
・Colorado -聖地と溶け合う大地-
・レイラインが描く人と天地の聖なる会合ルート
・アーユルヴェーダ発祥の地、ケララが誇る屈指の楽園
・雑穀の食卓
となっております。
綺麗な写真が多く、解説も簡潔で難しいものはあまりないので
パワースポットや神社について
関心があられる方であれば気軽に読める内容ではないでしょうか。
ご覧になってみて下さい。
定価は980円(税込)で、平成18年11月に発刊されており
こちらでお求めいただけます。
↓
近年は特に「スピリチュアル」「パワースポット」ということで
神社にスポットがあてられています。
清々しい雰囲気の中、参道を進み
自然への畏敬の念や感謝の心を抱きながら
神社へお参りすることはとても心地のよいものです。
慌ただしい日常の合間に、神社へお参りをして
祈りを捧げ、自分と向き合う時間を持ちたいものですね。
ブログ再開いたします
本日よりブログを再開いたします。
自粛期間中、多くの方々にお世話になりました。
ありがとうございました。
ブログ自粛いたします
一身上の理由により、少しの期間
本ブログを自粛いたします。
恐縮ですが、ご了承のほどお願い申し上げます。
奉拝 幣立神宮
本日、熊本市内から車で一時間くらいでしょうか、
熊本県上益城郡山都町ご鎮座の
高天原日の宮・幣立神宮(幣立神社)へ参拝して参りました。
幣立神宮は神話とも関わりをもつ歴史があり、
ご祭神は神漏岐命、神漏美命、大宇宙大和神、大御中主大神、
天照大御神とありました。
境内には立派で神々しいご神木が立ち並んでおり
名状しがたいほど荘厳な存在感を放っていました。
最近はパワースポットとして有名になっているそうです。
参道の長い石階段を一段ずつ登っていくと
空気が徐々にピンと張りつめていくのを感じながら、
自然への畏れ敬いの念を抱き、身が引き締まる雰囲気の中
清々しくお参りをさせて頂きました。
また、若い神職の方がいらっしゃって
その所作も非常に心地のよいものでした。

幣立神宮100219_1
通り名でえべっさんを探せ!
諫早市中地区町内会連合会などでつくる
「えべっさん実行委員会」では、
諫早に点在する「えべっさん(恵比寿像)」を歩きながら探し、
諫早のまちを再発見・再認識するイベント
「通り名でえべっさんを探せ!」の開催を予定しております。
諫早には、これまでの歴史と関連し
多くの恵比寿像があるそうです。
■通り名でえべっさんを探せ!
~ウォークラリーイベント参加者募集~
とき:平成22年2月28日(日) 12:30~ ※雨天中止
集合場所:諫早アエル前ポケットパーク
申込み期限:2月22日(月)必着 先着30名
参加費:無料
詳しくは、
国交省・長崎河川国道事務所ホームページの新着情報をご覧ください。
恵比寿様は、
幸福をもたらす七福神として知られており
特に西日本では、
「えべっさん」と親しみを込めてよばれています。
大きな鯛を抱えて釣竿を持っている姿の恵比寿像は有名で
全国各地にありますので
ご覧になったこともあるのではないでしょうか。
古来より、全国津々浦々で
海岸に流れ着いた漂着物や魚網にかかった石などを
エビス様の御神体として祀る風習などがあったようで、
もともとエビス様は海の向こうからやってくる神様として、
豊漁や海上安全などをもたらす神様として信仰されていました。
鎌倉時代の頃からは、福の神としてのご神徳が歓迎されて
各地の市場などに祀られるようになり
室町時代以降は、商業都市を中心に商売繁盛の神様として
多くの人々から盛んに信仰されています。
なお、東京の神田明神などでは
諫早神社のご祭神でもある少彦名命と恵比寿様が
習合(同一神と)されており、
商売繁盛、医薬健康、開運招福の神様として、
また、温泉を伝えた神様として知られております。
【ご報告】累計10,000アクセス
諫早神社の
公式ホームページ・公式ブログの累計アクセス数(PV)が
2月13日時点で10,000を超えておりました。
節目の数字ですので、ここにお知らせ致します。
ホームページはずいぶん前から開設の計画をしておりましたが
ようやく昨年の12月8日に開設をすることができました。
ブログは翌々週の12月21日からのスタートですので
約2ヵ月で10,000アクセスとなります。
ご覧いただいております皆様に感謝を申し上げます。
これからも日々の生活の中で
気軽にご覧いただける親しみのもてるサイトを目指して
随時更新して参りますので
今後もご高覧いただけますと幸いです。

梅が綺麗に咲いています
「皇居勤労奉仕団の旅」ご案内
長崎県神社庁では、天皇陛下御即位十年奉祝記念として
神社庁皇居勤労奉仕団をスタートし、これまでに12回、
約350名が参加し実施しております。
皇居勤労奉仕とは、昭和20年5月に空襲で焼失した
宮殿の焼け跡を整理するため、
有志が勤労奉仕を申し出たことで始まり
それ以降、奉仕を希望する全国の多くの方々により行われているものです。
現在の皇居勤労奉仕は、連続する平日の4日間、
皇居と赤坂御用地で除草,清掃,庭園作業などを行います。
長崎県神社庁では、
本年も第13回目の奉仕団実施を予定しており
現在、参加される方々を募集しております。
この皇居勤労奉仕は個人による宮内庁申込みができませんので
1団体として宮内庁へ申請する必要があります。
(長崎県神社庁の奉仕団として申請)
ご関心あられる方は、
是非この機会に参加されてみてはいかがでしょうか。
なお、団体名簿を半年前までに宮内庁へ届け出る
定めとなっておりますので(実施1ヶ月前まで変更可)、
日程・申込締切日は下記の通りとなっております。
●第13回 長崎県神社庁皇居勤労奉仕団
実施日:平成22年9月上旬(5泊6日)
募集人員:45名
申込締切:3月25日(宮内庁許可申請のため)
参加費:138,000円
詳しくは、長崎県神社庁ホームページ(お知らせ欄)をご覧下さい。
諫早神社の社頭にもチラシを置いております。
2月15日「つきなみさい」を斎行しました
本日、2月15日は
毎月恒例「つきなみさい」の日でございまして
滞りなく斎行することができました。
ご参列いただきました皆様、ありがとうございました。
次回の「つきなみさい」は
3月1日(月)
9:30~
となります。
皆様とともに
日々の神恩感謝や健康安泰・繁栄を祈願いたします。
ご自由にご参列できますので、
ご都合つかれる方はどうぞご参詣下さい。
祈年祭を斎行しました
本日、氏子総代の皆さまにご参列をいただき
祈年祭(きねんさい)が滞りなく斎行されました。
本来は2月17日に行うものなのですが
諸々の事情で本日行われています。
祈年祭は「としごいのまつり」とも称し、
年の始めにあたって、五穀豊穣と国家安泰を祈る祭りであり
宮中三殿・伊勢神宮をはじめ、
全国各地の神社で行われているものです。
収穫感謝祭である「新嘗祭」と対になる祭りで、
元々は律令国家の恒例祭祀の一つとして
既に天武天皇の御代(飛鳥時代)には
盛大に執り行われていたと云われています。
明日は毎月1日・15日に斎行しております
「つきなみさい」の日でございます。
ご自由にご参列できますので、
ご都合つかれる方はどうぞご参詣下さい。
■つきなみさい
2/15(月) 9:30~
山下淵の大なまず その3
先日のブログ「山下淵の大なまず」の続きで
今回で完結となります。
【山下淵の大なまず その3】
さて、女性が姿を消したその翌日のこと。
山下淵に、見た事もないような
大なまずの死がいが浮かびました。
その話は町中に広がり、たちまち殿さまの耳にも届きました。
じつはその時代、山下淵では
魚を獲ることは固く禁じられていたのです。
家来が調べて見ると、大なまずの心臓に
一本の鋭いモリが突き刺さっています。
見るとそのモリには、
はっきりと『中村大蔵』という銘(めい)が刻まれていたのです。
「中村大蔵を、ひったてい!」
ただちに大蔵は縄をかけられて、お城の庭に引き出されました。
「なまずを殺したのは、自分でありません」
大蔵は言いましたが、
「では、誰が殺したというのだ?」
「それは・・・」
主との約束を破る事は出来ないので、仕方なく黙っていました。
「黙っておる所を見ると、やはりお前の仕業だな!
魚を取ってはならぬとの禁を破った上、罪を認めぬとは!
さっそく、処罰を与えてくれるわ!」
殿さまはかんかんに怒ってしまいましたが、家来の一人が、
「殿、お待ち下さい。
モリを作ったのは、確かに大蔵でしょう。
しかし自分の仕業であれば、
わざわざそれを分かるような名を刻む事はいたしますまい」
と、取りなしてくれたので、なんとか太蔵は罪を逃れる事が出来ました。
このことがあってから、大蔵は城下から遠く離れた
深海(ふかみ)の里に移り住み、そこで多くの名刀を残したそうです。
そして山下淵の主は大蔵との約束を忘れていなかったのか
あれ以来、
山下淵でおぼれ死ぬ者は一人としていなかったということです。
おしまい

山下淵の大なまず(諫早・公園橋)

















