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山下淵の大なまず その1
諫早神社の境内前を流れる諫早の母なる川、本明川。
この諫早に数多く残された伝説の一つで
本明川の「山下淵の大なまず」という伝説があります。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが
本明川は、北に聳える五家原岳南西麓を水源として
急斜面を流れ下り、様々な支流と合流しながら
有明海に注いでいる河川です。
日本でも有数の急峻な一級河川として知られています。
諫早神社もこの暴れ川・本明川の氾濫により
諫早大水害をはじめとして
これまでに何度となく多大な被害を被ってきました。
この本明川が、城山の岩崖にぶつかって淵を形成し、
山下淵と言われる所があります。
その昔はこの城山に高城が築かれており、
切り立った岩崖が今より広く深い淵に真っ直ぐ落ち込み、
自然の要害でもあったのでしょう。
「山下淵の大なまず」は
その本明川・山下淵を舞台とした伝説です。
【山下淵の大なまず その1】
むかしむかし今からもう四百年も前のこと、伊佐早(諫早)地方の領主
西郷純堯の時代、栄田村に中村大蔵(なかむらたいぞう)という、
腕の良い刀鍛冶がいました。
ある時、大蔵は神社へ納める神剣を作ろうと思いたちました。
そしてそれから百日の間、大蔵は水をかぶって身を清めると、
朝から晩まで一心に刀剣を打ち続けたのです。
そんなある日の事、一人の女性が大蔵のもとを訪れました。
「お願いがございます。どうか私に、鋭いモリを一本作ってもらえませんか」
「いや、今は打ち込んでいる仕事がありますので」
「お願いします。どうしても必要なのです。」
大蔵はびっくりして一度は断わったものの、
その女性があまりにも熱心に頼むので、ついに引き受ける事にしました。
「わかりました。それでは、三日後にまた来て下さい」
・・・・次回へ続く。